2011年11月7日月曜日

隣人愛の実践とは
 みなみななみさんの著書を読んで


 私達、教会に通うクリスチャンは、良く「隣人愛の実践はイエス様の大切な教えです」、と言われます。私の属する教会は、大変熱心にボランティア活動が積極的に行われています。近くに生活しているホームレスの人々のために、貧しい在日外国人のために、遠くの国の困っている人々のために。 それは見事なくらいに組織的に(効率よく)活動しています。これはとても大切なことであり、大変素晴らしいことだと思います。その活動に積極的に関わっている人に敬意を表します。ただ、少しだけ気になっているのは・・・これは極端な話ですが・・・もし会社勤めの人や、家庭の主婦が「私は隣人愛の実践をしなければならない!」という固い決意に燃えて、職場の人々や家族の充分な理解が得られないまま、四六時中、ボランティア活動に専念し続けているとしたら、その人の職場や家庭は一体どういうことになるのでしょうか?・・もちろん健全なクリスチャンの方で、そのような極端に走る方はいないと信じていますが。

 ところで、もし「隣人愛の実践」というものが、そのようなボランティア活動への参加や何かのチャリティーへの協力、といったもので測られてしまうとしたら、どういうことになるのでしょうか? 誰もがこのようなボランティアやチャリティーに参加できる訳ではありません。むしろそのようなことに関われる人はある種の恵まれた環境に居る人です。もちろんその恵まれた環境を有意義に用いることは素晴らしいことです。しかしそれができる人はむしろ少数派ではないでようか。ではそうでない人には「隣人愛の実践」はできないのでしょうか。
 しかし、人には、クリスチャンであるなしに関わらず誰でも、「日常生活」というものがあります。そしてその「日常生活」は常に、自分以外の誰かとの関わり合いで成り立っているのです。

 もう、かなり以前に読んだ本で みなみななみさんという人が書いた「信じたって悩んじゃう」という本に書かれてあったことを思い出しました。 この人の本業はイラストレーターで、何か、イラストをベースにしたデザインのプロモーションをされている方ですが、たしか、以前どこかの超教派のミッションで、アフリカやアジアの貧しい国々で、ワーカーとして奉仕されていたような記憶があります。 この本は一見すると、小学生でも書けそうな漫画本に見えますが(みなみ先生、失礼をお赦しください)しかしその内容は、真剣な信仰生活を歩んでいる人なら必ず直面する、様々な疑問、矛盾、葛藤などが、実に深い考察をもって書かれています。そのなかに「しずかなボランティア」というタイトルのショートストーリーがあります。
 
 ボランティアというと普通、福祉施設を訪問したり、ホームレスの人々のために、炊き出しをしたりとか、被災地に行って現地の人々のお手伝いをしたりとか、海外の貧しい国で井戸を掘ったりとか、難民キャンプで食料を配ったりとか、 そういうイメージがあります。 ここでみなみさんはある一人の女性を紹介しています。 みなみさんは「この人はそういう意味でのボランティア活動(隣人愛の実践)はしていませんが」と切り出します。するとその女性は「え! なんでそんな話に私が出てくるの?私は人のためになるような善いことなんかなにもしていないよ」と返します。 実は、この人は友達のことをとても大切にする人で、家事や子育てでくたくたになっている友達の所に尋ねて行っては、ニコニコしながら、その友達の愚痴の聞き役になっています。また病気の親戚の看病を長い間しているようです。この本ではこの二つの事例しか紹介されていませんが、それ以外にも色々なことをしているのでしょう。しかし彼女にとってはそれは毎日の日常生活のなかでのごく普通のことであって、自分がなにか、人のために善いことをしているという意識など全く無いようです。 みなみさんはこの女性のことでこのように書いています。「私なんか、彼女みたいに、毎日、いつも人のためにごはんを作ったり、買い物してやったりとか、そんなこととてもできない。むしろアフリカで奉仕していた時のほうがよっぽど楽でした」。
  おそらく、この女性に、「あなたは素晴らしい『隣人愛の実践』をしていますね」と言っても 「え! ”りんじんあい”って何ですか」という答えが返って来るでしょうね。私達クリスチャンはよく教会の中で「隣人愛」という言葉をよく聞きます。しかしよくよく考えてみてください。普段の生活のなかでそんな言葉をひんぱんに聞きますか?結局のところそれは教会の専門用語みたいなものになってはいませんか。ごく一部の人にしか通用しない用語を大上段にふりかざしても何の証にもなりませんよね。この女性には人を大切にしたりとか、こまやかな思いやりがごく自然に出てくるタイプの人なのでしょう。
 でもそのような思いやりやいつくしみの心というのは神様がどのような人に対しても、その こころ(ハート) の奥底に置いてくださる小さな「愛の灯」なのではないのでしょうか。しかしこの複雑怪奇な人間社会の中で生きていくうちに、次第にその こころ(ハート) は蝕まれ、深く大きな闇で包み込まれてしまい、「灯の光」も覆い尽くされてしまい、さらにはその闇のなかに、様々な歪んだものや、毒のあるものが住み着いてしまい、ときどきそれが外に出てきては、好ましくない人の振る舞いになっていくのでしょうね。 実はこの「闇」というものが実にやっかいなもので、ある種の「深層心理」とか「無意識の意識」とかいうもののなかにあるもので、人間の自助努力では払拭できるものではなさそうです。しかしながら、たとえ無意識の内にではあっても、こころ(ハート)の奥底に神様が置いてくださった「愛の灯」を大切にする何かしらの心の想いをいつも持ち続けているのなら、神ご自身がその灯に油を注ぎ込み、その光は闇さえも貫いていくのではないでしょうか。

 少し話がはずれますが、私達クリスチャンが昔から受け継がれてきた信仰の基本原則とはこういうものです。

 ①私(達)は誰よりも罪深くみじめな者であること。
 ②あわれみ深い神はそんな私(達)のために御子をつかわされ、その御子の尊い犠牲によって私(達)を救われたこと。
 ③そしてその私(達)が御子キリストのもとに召し集められた(これが教会)
 
 しかしながら、このごろの教会では特に上述①についての話があまり聞かれなくなっているように思われます。そして、これはあくまでも内輪の話ですが、なにか教会の発行する文書には「隣人愛の実践を積極的に行いましょう」とか「世界平和と社会正義の実現をめざしましょう」とかいうスローガンが目立ちます。「隣人愛の実践・・」はともかく「世界平和の実現」とか「社会正義の実現」とかいうことになると、何か自分たちが神様に取って代わろうとしているように感じるのは下衆の勘ぐりでしょうか。

 さて、話を戻しますが、このみなみななみさんが紹介した女性は、とても単純素朴な方のように思われます。こういう人のこころ(ハート)の中は、闇とか歪みとか、全く無いとはいいませんが、とても希薄で少ないのでしょうね。だからこそこころの奥底にある「愛の灯」の光がたやすく外に出てくるのでしょうね。

 前々回と前回は「奥深い東方教会の霊性」をテーマにしたため、様々な調べ事に大変でしたので、今回はだいぶ以前に読んだ、みなみななみさんの著書で軽く済まそうかと思っていましたが(みなみ先生、大変失礼しました)ところがどっこい、これってものすごく奥深いテーマでなにかまとまりのない中途半端な文書になってしまいましたことご容赦ください。今さらながら自分の軽率さを恥じるばかりです。

    内なる城に神(愛)はおられる 十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文参献:

みなみななみの人生劇場 信じてたって悩んじゃう いのちのことば社

2011年9月24日土曜日

神との関わり合い(関係性)の中で 
 祈りの生まれる時とは

 私の実質的指導司祭である跣足カルメル会上野毛修道院のN神父様はよく、信仰や祈りについて話をされる時、「関係性」という言葉を用いられます。つまり私たちキリスト者の信仰とは、神と人との「愛と信頼の関係性」なのです。関係性というのであれば、それは相互的なものであり、決して一方的なものではありません。まれにですが、「神様の愛は一方的なものです」などということを語る司祭や牧師の方がいらっしゃいますが、一歩的なものであれば、どうして、感謝や賛美をもって礼拝を捧げたり、祈ったりする必要があるのでしょうか。 祈りとは神との密接な関係性の中での交わりなのです。

 それでは、私たちにとって、祈りとはどのようなものであるべきなのでしょうか。そしてそれはどうなっていくのでしょうか。  このことについて、ソビエト政府の支配下のもとで、フランスに亡命され、その後、在英国ロシア正教会の指導者となられたアントニー・ブルーム大主教様がその著書「祈りの生まれる時」の中で、わかりやすく説明されておられます。

1)祈りの前提として  
  
*  引用:神の不在より
 まず第一に、祈りは神との出会いを求めること。神との関係を持つことだということを覚えておくのが非常に大切です。深い関係であっても、この関係は私たちの側にも、神の側にも無理強いできないものであることを。
**ここまで*

2)神の不在を感じるとき

 私たちは、大きな苦境に陥った時、神に即、とりさげてくださるように求めます。しかし何も答えがないとき、神の不在を感じるときがあります。

*引用: 神の不在より
 関係というのは、相互の自主性によって生まれ、発展していくべきものなのです。相互関係という点から神と人間の関係を見るとすれば、人間が神に抗議を申し出るよりも、神の方がはるかに多くの人間に不平をおっしゃる理由があることが分かります。人間はせっかく神のためにとっておいた数分から半時間の間に、神が存在を現してくださらないと不平たらたらですが、神が人間の心の扉をノックしておられたであろう23時間半というもの、私達が「忙しいので、すみません」と答えるのならまだしも、私達の心や知性や良心や人生にノックしておられるというのに、その音を耳にとめなかったために、返事一つしなかったことを何と申し開きできるでしょう。ですから人間は神が不在だからといって不平を言う立場にはないのです。神が不在でいるよりも、はるかに不在でいることが多いのは私達の方なのですから。
**ここまで*

3)神に対する人間のわきまえと、関わり合いの誠実さ

 ブルーノ主教様は、マタイ福音書の「ローマの百人隊長」とルカ福音書の5章に記されている大漁の奇跡の話を引用されています。まず、ローマの百人隊長ですが、この人とイエス様との関係は人間的視点の立場でいえば、支配者と被支配者です。この人が人間的視点の立場の上に立っていれば、イエス様を強引にでも連れて行くことができたでしょう。しかしこの人は何らかの形で、イエス様に神的権威を見たのでしょう。そこで彼は「私はあなたをお招きする資格さえありません」と語り、ただお言葉をいただければ、必ず願いは実現するという確信がありました。自分の人間的立場がどうであれ、聖なるお方に対するわきまえた姿勢こそが、良き関係性を築き上げていくものでしょう。ペトロの場合は、プロの漁師である自分が一晩かかっても、全く収穫がなく帰って来たときに、漁に関しては素人のイエス様が舟に乗り込んできて、網を降ろすように言われたところ、ペトロは言われるままに網を降ろしました。すると驚くほどの収穫が得られました。そのとき、ペトロはこのイエスという人はなにかとてつもなく偉大なお方であり、それに対して自分がいかにみじめで小さな存在であるかを悟りました。「主よ、私から離れてください。私は罪深い者です」(ルカ 5:8)

*引用:  神の不在 
 福音を読み、イエスの御姿が抗しがたく神々しく映るとき、神の偉大さと聖性に気づいて祈るとき、「神よ、私はあなたをお近くにお迎えできるような者ではありません」とへりくだることがあるでしょうか?  心が神の所に全く不在で、神をお受けしようとなどと思ってもいないために、神が人間に近づくことがおできにならないことに先ず気づかねばならないときには、ましてはへりくだりどころの話ではないのです。(その人は)神からのいただきものを求めているのであって、全然、神(ご自身)を求めているのではありません。これで神との関係を持つことだと言えるのでしょうか。友達との関係を考えてご覧なさい。そんな付き合いをしていますか?友情が与えてくれるものをあてにしているのですか。それとも愛しているのは友達そのものですか? 主に対しても、友達と同じようにしているでしょうか?
*ここまで**

 私達は得てして、自分の都合に基づいて、神様に向かいがちです。いったいどちらが 主 なのか?  と思ってしまうことがあります。しかし、人間としての自分をわきまえ、神を、真の 主(あるじ)として認めたうえで、神ご自身との関係性を豊かにしていければ、自分の人生も変わるのではないでしょうか。

3)神の国の門をノックするための注意事項

 ブルーム主教様が特に注意していることは、人間が造り上げた神のイメージと神そのものを同一視してはならないということです。それらのことは得てして、真の神との出会いの妨げになるからです。もしそれが、教会が大切にしているシンボル、例えば十字架やイコンなども真の神へ向かうための一つの道具として正しく用いられているのならば問題はないのですが、道具自体が神聖視されてしまったら、なにかおかしなことになります。またこれは「聖書」についてもあてはまることです。「聖書」に記されている(人にとって心地良い)ある言葉だけを取り上げ、神の全体像を勝手にイメージしてしまったら、神の国に入っても、どなたが本当の神様か分からなくなるのではないでしょうか? これはまさにヨハネ福音書8:39-40でイエスが語られている言葉、「あなた方は聖書の中に永遠の命があると研究している。ところが聖書は私について証しするものだ。それなのに、あなた方はいのちを得るためにわたしのところに来ようとしない」。と記されています。

4)神の国は私達の内にあり

* 引用:  門をノックするとは  
 でも、神の国はどこにあるのですか?福音は、神の国はまず第一に私達の内にあると教えています。自分の内にある神の国を見つけられないのなら、自分の内で、自分の深い心の奥底で神にまみえられないのだとしたら、ましてや私達の心の外でまみえる見込みははるか彼方です。 宇宙飛行に成功したガガーリンが、宇宙から帰還し、天では一度も神にはお会いしなかったという、彼の注目すべき声明を行ったとき、モスクワの司祭の一人が、「地上でお会いしなかったなら、天上でお会いすることはまず無いでしょう」と言いました。私の申し上げていることは、これについて事実であることを証明しています。私の存在するこの小さな世界で、心からの神との触れ合いを見つけ出せないとしたら、たとえ神と差し向かいで出会うことがあっても、私にはそれが神だと気づく見込みはほんの僅かしかないでしょう。 聖ヨハネ・クリュソストモスは「あなたの心の門を見つけなさい。そうすればそれが神の国の門だということに気づきます」と述べました。ですから注意を向けなければならないのは心の内面であって、外界ではないのです。
*ここまで**

 すなわち、神との出会いは、今ここにいる自分自身の心の内面でこそなされるのです。

5)ありのままの正直な心  自分にふさわしい祈り

 ブルーム主教様は、自分にふさわしく、また神にふさわしい祈りの言葉を薦めています。神の前で自分がどのような者かもわきまえず、神のレベルに自分を置く祈りの言葉を探そうとするのは無意味なことです。また、問題を何もかも扱おうとするのはやめて、素朴で素直な礼拝(祈り)の言葉や行為を薦めています。

*引用: 門をノックするとは  
 ユダヤの民間伝承にあるモーセの生涯に注目すべき一節があります。 モーセが砂漠で一人の羊飼いに会うという話です。モーセはその羊飼いと一緒に一日を過ごし、雌羊の乳搾りの手伝いをするのです。日暮れにモーセは、羊飼いが一番上質のミルクを木鉢に入れて、少し離れたある平たい石の上に載せたのを目にします。そこで羊飼いに、何のためにそんなことをするのかと尋ねるのです。すると羊飼いは「これは神様のミルクだで」と答えます。モーセは何のことか解らず、頭をひねって、どういうことなのかねと尋ねました。すると羊飼いは「おいらは、搾ったミルクの一番いいところを選んで神様への捧げ物にしているだよ」と答えるのです。モーセには素朴な信仰を持つその羊飼いに比べ、格段に優れた信仰があるので、「で、神様はそれをお飲みになるのかね?」と尋ねるわけです。「飲みなさるとも」と羊飼いは答えるのです。「ちゃーんと飲みなさるだ」 その時、モーセはこのなにも知らない羊飼いを少し教育してやろうという気持ちにかられ、神というのは純粋な霊でおられるから、ミルクを飲んだりなさらないのだよ。と説明して聞かせるのです。それでも羊飼いは、神様はたしかにミルクを飲みなさると言い張り、二人はちょっと議論を戦わせます。 結局モーセが、では、実際に神がミルクを飲みにくるかどうか茂みの中に隠れてごらん、と提案し、言い争いは決着します。それからモーセは砂漠で祈るため出かけて行きました。羊飼いは言われたとおり身を隠していると、砂漠から子狐が急ぎ足でやって来て、左右をキョロキョロと眺めてから、真っ直ぐミルクに近づきました。そしてミルクを一滴残らずきれいに舐め終わると、また砂漠へと姿を消したのです。その翌朝、羊飼いがしょげかえってうなだれているのに気が付いて、「一体どうしたんだね?」と尋ねると、「あんたの言うとおりだった。神様は純粋な霊だから、おいらのミルクなんざ全く欲しがりなさんだ」と羊飼いは答えました。モーセはびっくりするのです。そして「喜ぶべきではないかね。だって前より神様のことがよく解ったのだから」と言ったのです。「んだ、そりゃそうだ」と羊飼いは言うのです。「だどもおいらの愛を神様にお見せできるたった一つのことが取り上げられてしまっただ」と。モーセは ハッ と悟ります。そして砂漠に引きこもって一生懸命祈りました。その夜、幻の中で神はモーセに語りかけ「モーセよ、お前が間違っていた」とおっしゃいました。「わたしが純粋な霊であることは正しい。それでもわたしはあの羊飼いが彼の愛のしるしとしてわたしに捧げてくれるミルクをありがたく受け取っていた。とはいえ、わたしは純粋な霊ゆえ、ミルクはいらない。だからこの子狐と分け合っていたのだ。ミルクはこれの大好物なのでな」と。
*ここまで**

 どうも、神様は「正しい(知識による)信仰」にもとずく祈りよりも、素朴ながらも「純粋な愛」からでる祈りの方がお好みのようです。

 祈りを始めるに当たっては、それが自分にとって相応なふさわしいものであるかを吟味することは大切なことです。主教様は「あるがままの自分と全く正直な言葉、気の引けることのない言葉、自分をぴったり表す、自分にふさわしい祈りの言葉を選ぶことです」と語っています。どんなに美しい言葉で祈っても、それが自分自身の、心の在り方や実態とかけ離れていたら、何の意味があるのでしょうか。

6)日常生活の中での祈り(神との交わり)の習慣作りについて

 多忙と煩雑さの中で、時間的に極めて余裕のない、この時代に生きている私達にとって ・・ 特殊な生活環境で生きている人は別として・・ほとんど常に神に心を向けていることは、実際的には、極めて難しい話です。ではどうしたら良いでしょうか。 これは一つの提案ですが、一日のうち少なくとも3回、1回30分くらいは、朝・昼・晩 といった風に、神と2人だけで向かい合う時間をなるべく規則的にとってみたらいかがでしょうか(忙しすぎて3回は無理!と言う方は 朝・晩だけでも結構)。どのような時間配分で、どのようなやりかたでするかは、それぞれのやりかたで良いと思います。ただし、神と向かい合っている今という時にしっかりと身をおいてください。 もし、後に何かの予定が入っているようでしたら、終わる3分くらい前をめやすにタイマーをかけてみたら良いと思います。途中で中断するのは神様に対して失礼ですから。「今回はこれで終わらせていただきます」くらいのご挨拶くらいはすべきでしょうね。又、外からの割り込みに中断されぬよう、「ただいまお祈り中ですので、緊急度の高い用件でなければ、後ほどお願いします」くらいのアナウンスくらいは周囲の人々にするべきでしょう(ただしこの事はあまり極端にならないように)。 とにかくこの事をまず1年間、極力一日も休まず続けてください。そうすれば、やがてその祈りは毎日の生活習慣の一部となってくるでしょうし、それはまた、多忙のなかでのひとときの休息の時、瞬時に神様の方向にスイッチを切り替え、ごく自然に祈りの言葉や神への想いが出てくるのではないでしょうか。

9)たゆまず祈り継がれる最も基本的な祈りとは

 私達、カトリック信者は日課の祈りの中で、必ずといっていいほど「主の祈り」を唱えることにしています。しかしながら、自分の心の状態がどうしょうもなく追い詰められている時などには、様々な祈りの言葉はむろんのこと、「主の祈り」さえも出てこなくなることがあります。しかしそのようなときでも出てくる祈りの言葉があります。 「主よ、私を憐れみください、助けてください」。
 この祈りは、いわば、前回に紹介した、東方教会で古くから祈り続けられてきた、ヘシュカスムの「イエスの祈り」であり、また、西方教会(カトリック)で昔から祈り続け続けられてきた「キリエ・エレイソン(主よ、あわれみたまえ)」の祈りです。 
 ひたむきに、主の御名を呼び続け、憐れみや助けを求める祈り。 これは神により頼む人の心の奥底から出てくる最も基本的な祈りではないでしょうか。 また、これは、時代を超え、国境を越えて受け継がれてきた普遍 の祈りともいえましょう。

終わりに

 私は、かつて神は、どこか別の次元におられると思い込み、遙か彼方に向かって祈っていました。またその祈りも極めて外形的なものでした。 しかし神が私の内におられることを知ったとき、見栄の張ったきれい事の祈り、心にもない祈りなどできないことを悟りました。また、自分たちにとって都合良い「神のイメージ」を造り上げたところで、それは自分の心の中に造り上げた偶像であり、そんなものに祈っても、神との活きた交わりなどできません。 真の神との交わりには、まず真の神との本当の出会いが必要です。 人それぞれ、神との出会いの体験は異なりますので、どのようなことが神との出会いなのか、ということは申し上げられません。 しかし、真剣に神を求めていながら、まだ出会いの確信をもてない方には、根気よく、あきらめずに祈り求めていくように、エールを送ります。しかし、神との出会いを既にしていながら、まだ気付いておられないかも知れませんので、まずは祈りの中で問い続けてください。そうすれば、必ず応えは帰ってきます。

            内なる城に神を求む   十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献

祈りの生まれる時 神の国へのアプローチ 斎田靖子 訳 エンデルレ書店

2011年7月23日土曜日

心の祈りと鏡 ヘシカスムの「イエスの祈り」

まずは聖書のみことば  ローマ12:12

  希望をもって喜び、苦難を忍び、たゆまず祈るように

**
 
私は長い間、カルメル会士に教えていただいた念祷(心の祈り)というものをしていました。・・・・というよりは、していたつもりだったのです。  しかしそれでも以前は、なにかしら心の中に平安らしきものを感じていました。しかしあの3.11以降、私の心は荒れすさみ、いくら祈ってもこのすさみはますます激しくなるばかりでした。 ちなみにカルメル会の中興の祖であるアビラの聖テレサは念祷について以下の定義をしています。

 イエズスの聖テレジアの自叙伝 第8章 第5節より
  *
 念祷(心の祈り)とは、私の考えによれば、自分が神から愛されていることを知りつつ、その神とふたりだけで語り合う親密な友情の交換にほかなりません。
 *
 つまり、私は自分で勝手に神様と親しく交わっていたつもりになっていただけのことだったのです。(即ち、具体性に欠き、観念だけが先走っていたのです)
 そこで、はてどうしたものかと考えていたところ、あることを思いだしました。 前回の投稿で、私は東方正教会の信仰と霊性に興味を持っているという主旨のことを書きましたが、正教会の特徴は壮麗かつ神秘的な典礼のほかに、単純素朴ながらも深淵な修道の霊性があるのです。現在この東方の修道の総本山とでもいうところが、ギリシャ北東部にある 聖山アトス です。正教の修道士たちの間でよく祈られている祈りが ヘシカスムの「イエスの祈り」 と呼ばれているものです。私は様々な文献を調べましたが、この「イエスの祈り」について、最も的確に説明している文献は「フィロカリア」というもので、これは正教会では「聖書」に次いで尊ばれている本ですが、西洋的キリスト教になれ親しんだ私達にとって、難解なため、比較的解りやすい文献からほんのわずかだけ紹介させていただきます。

 ちなみに私自身がおこなっている「イエスの祈り」を以下に紹介します。

・まず、なるべく人の出入りの少ない部屋に1人でいます。
・そして、床の上に座り込みます。
・次に、イエスの姿を描いたイコンを自分の目線と同じ高さになる位置に置きます。
・そして、イコンと向かい合ったままで、心を静めるために1回深呼吸をし、それから自然な呼吸に合わせて次のような祈りをゆっくりと、くりかえし唱えます。

 「主イエス 神の御子 罪あるわたしをあわれみください」

この祈りをくりかえし唱え続け、1時間くらいしてからでしょうか。 その時は時間の感覚がなくなってよく覚えていないのですが、あるとき 「あ! これは!」という気付きがありました。 それは目の前にあるイコンが私の内に住まわれるイエスを写し出す鏡のように思われたのです。もちろんこのイコンが物理的に鏡に変わったわけではありません。しかしこのイコンが鏡のように見えたのは何らかの形で、イエスが私と対話するために向かい合ってくださったのではないでしょうか。
ーーーー
 では、つぎに私が調べた文献からいくつか紹介します。

  イエススの祈り  第1部 2 イエスの御名の呼吸 より
 *
 それは神秘の沈黙を探し、すべての思いを、たとえそれが許されるもののように見えるものでさえ、それを遠ざけ、心の深みにしっかりと根ざし、「主イエス・キリスト 神の御子よ 私をあえわれみたまえ」と祈るのに適している。時としてある人は「主イエス・キリストよ 私をあわれみください」としか言わないであろう。次には「神の御子よ 私をあわれみください」とさらに変えるだろう。[中途省略] しかし、あまり祈りの形を変えてはいけない。常に同じものであるようにすすめられている。この祈りを注意深く唱えながら、あるいは立ち、あるいは座り、あるいは横たわっているのだろうか。あまりせわしく呼吸せず、なるべくゆっくりと息を長く保つように心がけなさい。[中途省略]汚れた思いがあるのを精神の中に現れたなら、それに注意してはならない。かえって息を保ちつつ、精神を心の中に閉じ込めて、絶えず気を散らすことなく主イエスの名をよびなさい。そうすればこれらのものは見えないが、神の御名によって焼かれて逃れ去るだろう。

 次に、あるロシア人の巡礼者の手記である「無名の巡礼者」から紹介させていただきます。 まず、「イエスの祈り」の基本的な行い方について

 無名の巡礼者 第4の物語  より
 *
 (自然な)呼吸に合わせて「イエスの祈り」を心の中に入れたり出したりするようにつとめてください。それは、息を吸い込むときに「主イエス・キリストよ」、はき出すときに「私をあわれんでください」と心に感じるか、あるいは(口で)唱えるのです。そうすれば心の中に快い(霊的な)痛みをおぼえてくるようになり、さらに(霊的に)心全体が気持ちの良い温度で暖められてきます。 さて、これらのことが成し遂げられれば、その後は神様がいよいよ内的な祈りができるようにしてくださいます。もちろんこれらのことについては知恵(人間の浅知恵)による判断からくる一切の望みやその他の思いつきから遠ざかるようにしてください。内的な祈りをするときには何も〔余計なものは)見てはいけないと、聖なる師父たちがはっきりと語っています。

 次に、同じ「無名の巡礼者」のなかで、アトス山の修道士がこの祈りについての、より神学的な説明をしています。

 無名の巡礼者 第5の物語 より
 *
 「イエスの祈り」の奥深さはその言葉そのものの中に顕れてているのです。祈りはふたつの部分から成っていますね。はじめの「主イエス・キリスト 神の御子」という部分はイエス・キリストの史実を考えさせてくれます。もしくは教父たちが説明なさっているように、この部分自体が約された福音なのです。そして第2の部分「罪人の私をあわれんでください」は尋常でない方法で私達の弱さと罪深さの由来を伝えています。どうしてかとえば、卑しく取るに足らない、罪深い人間がこの言葉以上に根本的にまた、これ以上適切に哀願を表すことなどできはしないからです。他の嘆願のどれをとっても、この言葉ほど範囲の広い全体を含んだものは他には決してありません。たとえば、もし「私を赦してください。数々の罪の汚れを浄めてください。私から悪い所を取り去り、罪科を帳消ししてください」と祈るとすると、こうしした言葉は全部不安から発しており、罪を逃れようとする不甲斐ない怠慢な人間から生じる唯一の嘆願しか表さないでしょう。それに引き替え「私をあわれんでください」という言葉は、不安の結果である赦しを求める懇願だけでなく、子としての愛の誠実な哀願であり、神のあわれみへの信頼なのです。それは謙虚に己の弱さに気づいている、また己を見張っている手綱を緩めたことを知ている人間の哀願です。それは赦しと恩恵と、誘惑に打ち勝つための、また己の罪深い傾きを克服するための力を神に求めるための哀願です。これは貧しい借り主が、思いやりのある貸し主に借金を免じていただきたい、と頼むばかりか、自分の貧しさを思い遣って、恵みを請い願うのに例えられます。 「私をあわれんでください」という心からの言葉は、いわば「慈しみ深い主よ!私の罪を赦し、生き方を改善する力を与えてください。あなたのみ旨をおこないたいという熱い思いを抱かせ、私の思いと、心の意志があなただけに立ち返るようにしてくだえさい」とお伝えしているのです。
***

 このヘシカスムの「イエスの祈り」は西方教会(カトリック、プロテスタント)などでは、インドのヨガなど東洋的瞑想と混同されがちですが、これはあくまでも、イエスと対話するための「心の祈り」でありアビラの聖テレサが語る念祷と本質的には同じものなのです。呼吸云々は精神を集中するための手段にすぎません。私が思うにはこの「イエスの祈り」の重要な要素は以下の2点に尽きると思います。

 ①ひたすら イエス の御名を呼び続けること。
 ②イエス(神)のあわれみと慈しみに全幅の信頼を持って自分自身を差し出すこと。

 もし、祈ることに行き詰まっている方や、より奥深い内的祈りに入って行きたい方はぜひこの「イエスの祈り」をお薦めします。根気よく続けていると、あなたの前にも、あなたの内に住まわれるイエスがあなたの前に霊的な鏡を置いてくださり、ご自身を写し出してくださるかも知れませんよ。

カルメル山からアトスを眺む    十字架のヨハネ・テレジオ(名前負け)

参考および引用文献

イエズスの聖テレジアの自叙伝 東京女子カルメル会 訳 サンパウロ
イエススの祈り  セル・パスツール    高橋正行 訳 あかし書房
無名の巡礼者  あるロシア人巡礼者の手記 斉田靖子、A・ローテル 訳 エンテルレ書店
修徳の実践   (「フィロカリア」よりの抜粋)  斉田靖子  訳 エンデルレ書店

2011年4月25日月曜日

悲惨と闇と復活の光明

 ご無沙汰しています。私は3月の初め頃、今回はどんなきれい事を投稿しようかと、考えていところ、突然、あの3.11が襲いかかってきました。 そのときから私は心身は無論のこと、霊的にも暗黒の中に落ち込んでいきました。その後、ニュース等で具体的なことを知るにつれ、次第にその闇は深まるばかりでした。特に荒廃した街跡に茫然自失に立ちすくんでいる人の姿を見ると、まさにこの悲惨の中に自分自身が居るのを見たように思えました。 さらに追い打ちをかけたのが、十分過ぎるくらいに心に深傷を負っている人々に、むやみやたらに「ガンバレ!ガンバレ!」などという無神経メッセージを送って、さらにその傷口を広げている周囲の無神経者たちでした。

 その後、しばらくしてちょうど聖週間も近づいてきた時なので、少なくとも自分の心の状態を整理するために、聖金曜日から復活日まで、上野毛のカルメル会に滞在させていただきました。

 復活徹夜祭の典礼のなかで、ある若い有望な神父様が、このような話をされました。 「主イエスは、失われたアダムを見つけ出し、本来在るべき所に連れ返すために、地獄の底まで降りて行ったのです。そして、この本来在るべき所とは、かつての地上の楽園なのではなく天上の楽園なのです」。
 さらにつけ加えられたことは、このアダムとは単に、個人としてのアダムにとどまらず、アダムの子孫としての全ての人間(アダム)のことを指すのだということです。

 「東方の光」 聖週間の賛詞より

 イエスよ、あなたは死者のように 
 自発的に地下まで降りて行き
 罪に墜ちていた全ての人を
 天の住み家へとひきあげられた
 御父に従順なるみことばよ
 あなたは残酷な地獄まで降りて行き
 死すべき人類を復活させた。
**

 私は、この頃、正教会の信仰と霊性に興味を持つようになったのですが、正教の信仰の特徴というのは、十字架以上に復活光明の希望と喜びにあるとのことです。

 日本正教会では、ご復活の日には「光明なる主の復活大祭」というのが行われ、その日には信者の方々は、実に力強い言葉で「ハリストス(キリスト)!復活!!」 「実に!復活!!」という挨拶が教会のあちらこちらで交わされるようです。 これは何と、希望に満ちた挨拶ではありませんか。

 復活とは、単にキリストの復活にとどまらず、私たち人間全ての復活であることは、キリスト者の方にとっては、当然ご承知のことでしょうが、それはまた,世界の再創造でもあるのです。
 そして、それは、今、この時にも起こっている事なのです。

「東方の光」 聖ヨハネ・クリュソストモスのメッセージと伝承されているもの  より

 ・・・・・・みなさん、主の喜びに入ってください。
 はじめからの人たちも、あとから来た人たちも
 みんな報いを受けてください。
 豊かな人たちも、貧しい人たちも、(悲惨の中にいる人達も*1)
 みんな一緒に喜んでください。
  [中途省略]
 みんな 楽しく喜び祝ってください この信仰の宴を。
 みんな、神の豊かな慈しみを受けてください。
 今日の佳き日に、だれも自分の悲惨さを
 泣き悲しむことがありませんように。
 [中途省略]
 もう、だれも死を恐れませんように!
 救い主の死は 私たちを解放してくださいました。
 救い主は死をまとって 死そのものを根絶されました。
 主は地獄へ下って行き 地獄を空にしました。
 死よ、お前の刺はどこにあるのか?
 地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか?
 キリストは復活し、地獄は打ち砕かれた。
 キリストは復活し、悪魔は倒されました。
 キリストは復活し、天使達は喜びにあふれています。
 キリストは復活し、わたしたちに命を与えました。
 キリストは復活し、死者たちはもはや墓にはいません。
 死者の中から復活したキリストは、
 眠っている人々の初穂となられました。
 (栄唱)

*1 筆者追記
***

 さて、今もなを、悲惨と闇と苦しみの中にいる、愛する方々へ、あなたがたが、どれほどの苦しみを担っているかは、私ごとき者が知る術はありません。しかし、これだけは解ってください。
 あなたがたが、信じようが、信じまいが、あなたたちに裏切ることのない希望を与えてくださるお方がおられることを。
 あなたがたが、信じようが、信じまいが、消えることのない光で照らしてくださるお方がおられることを。

 暗夜の旅人      十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献

東方の光    ミッシェル・エフドキモフ  稗田操子 訳  ドン・ボスコ

2011年3月1日火曜日

イエスのみ腕に抱かれて
 ファニー・クロスビーと聖テレーズ

 私は、このごろ、盲目の賛美詩人ファニー・クロスビーと幼いイエスの聖テレーズ(一般名称:リジューのテレーズ)の霊性がとてもよく似ていることに気付いたのです。
 この両者は、生まれた国も、時代も、生い立ちや生涯も、背景の教会も違います。しかしなぜこれだけ似ているのでしょうか。今回は私の知る範囲内の情報を紹介しながら、このことを探っていきたいと思います。

まず、始める前に

聖書のみことば    イザヤ 66:12-13a

 主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう
 平和を大河のように 国々の栄えを洪水の流水のように
 あなたは乳房で養われ、抱いて運ばれ、膝の上であやされる
 母がその子を慰めるように わたしはあなたを慰める。

 盲目の賛美詩人ファニー・クロスビー(正式名:フランシス.J.クロスビー)

 1820年3月24日、ニューヨーク州の片隅の貧しい家に生まれる。父はすぐに亡くなり、母親と敬虔なキリスト者の祖母のもとで、育てられました。生まれて六週間くらいのときに、目に異常が見つかり、医師の治療を受けたところ、医師が重大なミスを犯してしまい、失明してしまいました。ちなみにこの医師は、町の人々から大非難され、失踪してしまったそうです。また、これは後々のことですが、ファニー女史はその自伝の中で、このようなことを書いています。「もし私がこの医師に会ったらこのように申し上げたいのです。『このことはあなたにとっては(医師として)ミスかも知れませんが、神様にミスはないのです。むしろこのことは私にとっては恵みなのです。私はこの事を感謝しています』 」・・・・これは何というAmazingGrace  ・・・ 

 ファニー女史は大いなる神の恵みと豊かな詩の賜を受け、特にその詩の賜をおおいに発揮しました。その詩のいくつかは、ポピュラー作曲家の目にとまり、その詩から作曲された歌は全米で大ヒットしました。しかし、本来、信仰心の厚いファニー女史はそのことに何かむなしさを感じていました。「私の詩が酒場のようなところで歌われている。そんなつもりではなかったのに・・・・」。
 ファニー女史はやがて、成長し自分が学んだ盲学校の教師として勤めるようになりました。その同僚である敬虔なキリスト者のへスター女史から賛美詩を書くように薦められました。しかしファニー女史はまだためらいがありました。「私の詩は酒場で歌われているのよ、そんな詩が聖なる教会で・・・・」。しかし本来、信仰深いファニー女史はへスター女史に教会に誘われているうちに、次第に賛美詩を書きためるようになっていきました。しかし、あるとき重大事態が起きました。全米で猛威をふるっていたコレラの魔手はこの盲学校にも襲い、へスター女史も、愛する生徒も亡くなってしまったのです。ファニー女史は大きな悲しみの中にいましたが、それでも少しずつ賛美詩を書き続けていました。その後、新任の音楽教師として着任したアレクサンダー・ヴァン・アルスタイン氏(この人も盲目の人です)と結婚し、盲学校の職を辞し、賛美詩を書くことに専念するようになりました。しかしながら、その時代の社会は障害者に大変冷たかったので、その生活は極めて貧しいものでした。しかしながら、一人の子供を授かり、一時の幸せを味わったのですが、やがてその子供も病死に、ファニー女史は大変な悲嘆の中にいました。
 そんなあるとき、ファニー女史のもとに、賛美歌などを手がける作曲家のウイリアムズ・ドーン氏が訪れ、自作の曲を弾いて聞かせました。するとファニー女史は「あら!それはイエスのみ腕に と言っているわ」と言ってたちまちのうちにその詩を書き上げたのです。 以下に、「イエスのみ腕に」の原詩の訳を紹介します。

  賛美歌・聖歌ものがたり 第15章 ファニー・クロスビー より

1. 安らかに、主イエスのみ腕にいだかれて 安らかに、やさしいみ胸によりそって
  主の愛の影におおわれて、私の心は憩います。ああ、あれは天使の歌声です。
     栄えに満ちた野山をこえて,碧玉の海をこえて、私の耳に響くのlは。

2. 安らかに、主のみ腕にいだかれるとき、やつれるほどの労苦を忘れ、
   世の誘惑から守られて、罪も私を損ないません。
   悲嘆によって砕かれた心も癒やされ、疑い恐れからときはなたれます。
   試練に涙することもあるでしょうが、それもしばしのことです。

3. 主イエスは私の避けどころ、主イエスは私の罪のために死にました。
  千歳のいわおによりすがり、とこしえに主を信頼します。
  この地上で忍耐をもって待ちわびます。闇夜が明けるまで、
  朝がふたたび訪れて、黄金の岸が輝く時まで。

**

 艱難辛苦の人生を歩んできたファニー・クロスビーにとって、幼子の信頼をもって
イエスのみ腕にいだかれて、その身にすべてをゆだねていたとき、肉的には目が見えず闇のなかにいても、霊的には光り輝くみ国が見えていたのでしょうね。
 ファニー・クロスビーはその他にも、多くの賛美詩を書き、その数五千ほどといわれています。その多くは、聖歌・賛美歌となり、今でも世界中の人々に愛唱され続けています。 ファニー・クロスビーは、今までも、今も、これからもイエスの愛と希望を世界中の人々に送り届けているのです。

 では、次に 

幼いイエスの聖テレーズ

 本名:テレーズ・マルタン 正式修道名:幼いイエスと尊き面影のテレーズ 
 一般名称:リジューのテレーズ
  1873年 フランスのアランソンという街に、5人姉妹の末妹として生まれました。(実際にはこの両親には9人の子供が生まれたのですが、そのうちの4人は幼くして亡くなりました) この5人姉妹は全員修道女になっています。そのうちの4人は同じリジューのカルメル会に入りました。この両親も立派なキリスト者でした。
 テレーズが2歳のとき、母が帰天し、ノルマンディー地方のリジューという小さな町に引っ越ししました。テレーズは何か、幼いときから神からの召命を感じていたのですが、母代わりとなっていた姉2人が次々と修道女となってしまい、その志はますます強くなり15歳のとき、リジューの町にある跣足カルメル会という禁域の観想修道会(*1)の修道院に入りました。テレーズはその単調な修道院の生活の中で、人目につくことなく、日常生活の微細なことに神の愛を塗り込めていました。テレーズは23歳のとき、結核を発病し、その病のなかでの修道生活は、肉的にも霊的にも大変な苦しみの内にあったようです。とりわけ最後の半年間は毎日が十字架釘付状態でした。しかし、その中でもテレーズはイエスへの愛を告白し続けました。テレーズは24歳の秋のある日、真の公生涯を始めるために、天国へ連れ帰されました。

  *1 禁域の修道院とは、必要最小限以外には、外部との接触を断ち、日々、祈りと単純労働で共同生活を営む修道院のことです。

 テレーズは、よくイエスのことを「私のフィアンセ」と呼んでいました。これは今では当たり前のことなのですが(神学的にも大正解)この当時のカトリックの修道女としては極めて大胆な表現だったのです。
**
 私のフィアンセは「どの国にいきたいか」とお尋ねになりました。それで小さいフィアンセは「愛の山の頂に参りとうございます」とお答えしました。「では、どの道を通って行こうか」とお尋ねになったので、「み旨のままに」と答えました。すると私のフィアンセは、私の手をお取りになって、暑くも寒くも風もない暗い地下道に連れて行かれました。この地下道で見えるものは、あのお方の伏せられた眼差しから放たれる光だけ。主は何も言いません。私も何も言いません。私も「主よ、自分自身よりもあなたを愛します」という意外には。〔手紙91]
**
 さて、この暗い地下道の行き着く先はどこでしょう。それは何と、天に昇るエレベーターだったのです。
**
 おお!イエスさま。私を天まで昇らせるエレベーター。それはあなたのみ腕なのです。ですから、私は大きくなる必要はありません。かえって小さなままでなければなりません。〔自C〕
**
テレーズのメッセージの中で最も大きな位置を占めるのは「小さい道」と呼ばれるものです。テレーズは「小さい道」を説明するのに様々な表現を用いています。
** 
 小さな幼児が、階上にいる愛するパパのところに行こうとして階段を登ろうとします。しかしその小さな足は、1段目にも届きません。しかしそれでも小さな足を上げ続けます。それを見かねた愛するパパはたまらなくなって、一気に駆け下り、愛する我が子をそのみ腕に抱き上げ、一気に(エレベータで)登りました。
**
 テレーズの「小さい道」は私たちに幼児のような信頼さえあれば、イエスの愛と希望を易しくわが身に受けることが出来るのだということを教えてくれました。

 テレーズもまた、今までも、今も、これからもイエスの愛と希望を世界中の人々に送り届けているのです。・・・・・それは、まるで天からのバラの雨を降らすが如く。
★★
 この両者のなした偉大なことにしては、ほんの僅かのことしか紹介できませんでしたが(全く少ない!)これだけを見ても、この両者の霊性はよく似ていると思われませんでしょうか。むしろ、似ているというよりも、この両者の信仰の本質性は同質のものであるかと思われます。では、その同質性は何かというと

  ひたむきに いつわりなく イエスを愛し 
 信頼して すべてをゆだねて

ということではないでしょうか。これこそが本物の信仰の道を歩む一番の秘訣かもしれませんね。

☆ 今回は、2人の大聖人(ちなみにファニー・クロスビーはメソジスト教会の人なので列聖制度はありません)のことを一気に取り上げたので話し足らずで申し訳ありません。今後、別々に少しずつ小出しに紹介させていただきます。(特にテレーズはたくさんあります)

私にとってもフィアンセ主
           イエス・キリストへの愛を込めて 十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献

賛美歌・聖歌ものがたり  大塚野百合    創元社
幼いイエスの聖テレーズの自叙伝
    テレーズ・マルタン 東京女子カルメル会&伊従信子 訳 ドン・ボスコ社
幼いイエスの聖テレーズの手紙  
    テレーズ・マルタン  福岡女子カルメル会 訳 サンパウロ社
ある人生のものがたり   G・ゴッシェ    徳山登 訳   聖母の騎士社
果てしない希望 リジューのテレーズ  菊池多嘉子   ドン・ボスコ社

2011年2月10日木曜日

破れたテントでイエスのレッスン
 シスター・ブリージの証

 荒川の河川敷を歩いていると、青いビニール小屋のテントが目に付きます。その中にはぼろぼろに破れた穴の開いたテントもあり、この厳冬の中で生活している人のことを思うと心痛むばかりです。しかし、そんなことを言っている自分自身もその破れたテントであることをどれだけ自覚していることでしょう。
 今回紹介するシスター・ブリージという人は、癒しの賜で知られている人ですが、シスター・ブリージの癒しの賜とは、この頃のキリスト教界でよく行われているデモンストレーション的なものではなく、むしろローマの百人隊長(マタイ8:5-13、ルカ7:1-10)のようです。今回紹介するのはそれとは別の話です。

 はじめにシスター・ブリージの簡単なプロフィールを紹介します。

  本名: ブリージ・マッケナ
  1945年アイルランド生まれ。15歳で聖クララ姉妹会入会。誓願後、渡米し、24歳の時、重症のリューマチ関節炎の人の奇跡的な癒しがあり、1974年には司祭職への深い霊的洞察力をいただく。 以降、世界各地の司教や司祭たちから黙想会や講話などを依頼され、謙虚で献身的な奉仕を続けている。

まず、始める前に

 聖書のみことば
     ヨハネ 14:23


  イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしはその人の所に行き、一緒に住む」

     ガラテア   2:20

  生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

ブリージ・マッケナ 祈りー恵みの泉ー 
      第二章 主は打ち砕かれたテントに住まわれる よりの引用

破れたテント
 数年前、年の黙想会のとき、私はひどい誘惑で落ち込んでいました。その夜、考え得る全ての誘惑があったのです。翌日ミサ(聖餐式に相当するもので、カトリック教会では『感謝の祭儀』と呼んでいます)に行く道々、昨夜の悪い攻撃と誘惑のためにボロボロとなり、落ち込んでいるのを感じました。聖体拝領(ミサの要素の中核となるものです)の列を歩きながら、私は信仰告白をしました。「イエス様、私はあなたをお受けすると信じています。でも私はもうボロボロになってしまい、落ち込んでいます。あなたをいただくにはふさわしくないように感じます」と言いました。 ご聖体(聖餐のパンのことで、文字通りキリストの体)をいただく前は、このような気持ちでした。ところが、聖なるホスティア(ご聖体と同意)をいただいて、自分の席に戻ろうとしたとき、私ははっきりとしたテントのイメージを受けたのです。そのテントを見て、「まあ、あのみずぼらしいテントは本当にボロボロだこと!」と思ったことを覚えています。私はそれを念入りに見て「ひどい嵐で壊されたにちがいないわ」と言ったのも思い出します。自分の席についてひざまずいたとき、私は一人の男の人がテントに入ろうとしているのを見ました。そのイメージの中には私もいて、その人にこう言っていました。「ああ、そのテントに入ることはできませんよ。めちゃくちゃに散らかっています。ボロボロです。その中には大きな穴があるのです」。 その男の人はほほえんでこう言ったのです。「どういう意味ですか?わたしはその中に住んでいるのです」。 その瞬間、私は自分こそ、そのボロボロのテントだということがわかったのです!その夜中に感じた失望への誘惑や罪、イライラさせる全てのことで、私はボロボロに壊されていることに気が付いたのです。今イエスは、そのボロボロの私の内をご自分の家にしてくださっているのでした。それは私を非常に謙虚にさせました。私は今まで自分がボロボロのテントなどとは考えたこともありませんでした!  その時、イエスが私をテントの中に連れて行ってくださったようでした。 イエスがテーブルに座っておられ、私もイエスと共にそこに座っているのを見ました。イエスはテーブルの向こう側に座られ、私の両手を握って私に話しておられました。

 イエスが私に話してくださっていたとき、私はテントに目を向けて言いました。「まあまあこのテントを見てください!人々は何と思うでしょうか?こんなに散らかって!」 私はちょっと失礼してから、イエスの手から自分の手を離しました。椅子を引き、その椅子に乗って、そのテントの穴を封じようとしました。私は、「人がこの穴を見たらどう思うだろう」と考えていたのです。私はそのテントが人々の目に良く映るようにと、そればかり気遣っていました。
 イエスが私をやさしく下ろしてくださるのを感じたのはそのときでした。イエスは深い思いやりのこもったまなざしで私を見つめておっしゃたのです。 「ブリージ、もしあなたがこうした穴のことや、この穴を繕う作業にばかりに夢中になっていれば、わたしのことを忘れてしまうでしょう。でも、あなたがわたしに夢中になれば、そのときはわたしがあなたのテントを繕ってあげましょう」。 私は、誘惑や自分の罪のことなどで、心配したり、どのような始末をしたらいいかとか、他の人がどう思うかなど心配することに多くの時間を費やしていたことに気づきました。 悔い改めや回心は、私がイエスに夢中になり、イエスの方向に向き直るときに起こるのだ、と主は私に示してくださいました。イエスに向くとき、あなたは自動的に罪に背を向けるのです。
 [ 中途省略 ]
 主は第二のレッスンをそのテントを使って示してくださいました。
再び、私はイエスと共にテーブルについていました。テントの外をのぞいてみると、多くの問題を持った人々、病人、苦境にある人々がテントの方に来るのが見えました。私は、「ああ、この人たちは、私を必要としているから、私が行かなくては・・・・・・・」と言いました。「やれやれ、こうした問題を全部どのように処理したらいいのかしら?こんなにたくさんの人々・・・、そしてこんなに多くの問題を?」と言っていました。テントの入口に立って、彼らをどうやって助けようと考えていたとき、再び私を引き戻すイエスの御手を感じました。イエスは人差し指を動かして、ほほえみを浮かべておっしゃいました。「彼らはあなたに問題を解決してもらいに来るのではないのです。彼らはわたしがあなたの内に住んでいるから、ただそれであなたの所に来るのです。もしあなたが立ち上がって『私がこれをしなくては・・・』と言えば、そのとき、あなたはわたしがいやし主であり、わたしが平和をもたらす者であることを忘れてしまうでしょう。病人をいやすのはわたしです。 あなたは、ただ道具になってもらいたいのです。ですから、あなたは今日はただ座っているだけで、わたしをドアの所に行かせてごらんなさい」 私はイエスに「わかりました。今やっとあなたを信頼する人は失敗することがない。という意味がわかりました。もし私が自分でやろうとすれば、私は失敗してしまうでしょう」。と言っている自分を発見しました。
***
 このレッスンの証のメッセージポイントは次のようなものになるのではないでしょうか。

① 私(達)こそがボロボロの破れたテントであることを識ること。
② この破れたテントにイエスが共に生活してくださること。
③ この破れたテントの修復は私(達)ではなく、イエスがしてくださる。私(達)はイエスに夢中になっていれば良い。
④同じ河川敷の、破れたテントに住む、隣人たちの苦境状態を私(達)が何とかしようとするのではなく、イエスが私(達)を道具として用いて、必要(以上)なことをしてくださる。
★★
 アウトドア生活に縁のない私にとって、テントのイメージは今ひとつピンとこないのですが、街の裏側にある、いつ撤去されてもおかしくないような、崩れかかった廃屋のようなものかなという気がします(いやいやそんな上等なものではないですね)。しかしこのような所にも、否、このような所にこそ、イエスは一緒に住んでくださるのでしょう。

同居主 イエス・キリストへの愛をこめて     十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献
祈り―恵みの泉―    ブリージ・マッケナ     聖母文庫

2011年1月18日火曜日

役立たずがなんでいけないの? タオとキリスト

 年始のニュースで、昨年も自殺者が三万人を超え、これで13年連続となりました。というニュースを聞かされ暗澹とした思いになりました。実は私自身もかつて、この三万人の仲間入りをする半歩手前まで行ったのです。その時の私の心境は「もう絶望だ」とか、「もう疲れた」とか「もう死にたい」とかいうよりも、むしろ「私は役に立たない者となった、私は死ななければならない」という積極的ともいえる自殺願望があったのです。おそらく経済原理・効率優先を主体とする此世的価値観に支配されている社会から排除され、鬱の病になり自殺に向かおうとしている人の心境の多くは同じではないかと思うのです。ではなぜこのような思い込みにとらわれてしまったのでしょうか。
 今回は少し視点を変えて、別の入口から入ります。まずはじめに紹介するのは、中国古代の聖哲である 荘子 です。

 無用の用

荘子はこのことを、いくつかのたとえ話を用いて説明しています。その中でも特に有名なものは、あの著名な霊性の大家、ヘンリー・ナウエンも採用したものです。

荘子(内篇) 人間世篇 より

大工の棟梁の石が、斉の国を旅行して曲猿という土地に入ったとき、神社の神木になっている櫟の大木を見た。その大きさは数千頭の牛を覆い隠すほどで、幹の大きさは百かかえもあり、その高さは山を見下ろしていて、地上からは七、八十尺もあるところからはじめて幹が出ている。それも舟を作れるほどに大きい枝が幾十本とはり出ているのだ。見物人が集まって市場のようなにぎやかさであったが、棟梁は見返りもせず、そのまま足を運んで通り過ぎた。弟子たちはつくづくと見とれてから、走って棟梁に追いつくと、尋ねた。「われわれが斧や鉞を手にして師匠のところに弟子入りしてから、こんなに立派な材木は見たことがありません。師匠がよく見ようとせず足を運んで通り過ぎたのはどういうわけでしょうか」。棟梁は答えた。「やめろ、つまらないことを言うな。あれは役立たずの木だ。あれで舟を作ると沈むし、棺桶を作ると腐るし、道具を作るとすぐに壊れるし、門や戸にすると樹脂が流れ出すし、柱にすると虫がわく。全く使いみちのない木だよ」。 さて、その後、棟梁の石が(旅を終えて家に)帰ると、神社の木が夢に現れて、こう言った。「お前はいったいこのわしを何に比べているのかね。お前はおそらくこのわしを(お前たちにとって)役に立つ木と比べているのだろう。いったい梨や橘や柚などの木の実や草の実の類は、その実が熟するとむしり取られもぎ取られて、大きな枝は折られ小さな枝は引きちぎられることにもなる。これは人の役に立つというとりえがあるということによって、かえって自分の生涯を苦しめているのだ。だからその自然の寿命を全うしないで若死にすることにもなるわけで、自分から世俗に打ちのめされているものなのだ。世の中のものごとはすべてこうしたものだ。それにわしは長い間、役に立たないことを願ってきたが、死に近づいた今になってやっとそれがかなえられて、そのことがわしにとっておおいに役だっていることになる。もしわしが役に立つ木であったら、いったいここまで大きくなることができたであろうか。それにお前もわしも生き物であることには全く同じなのに、どうして相手を物扱いして決め付けることができよう。(お前のような)今にも死にそうな役立たずの人間に、どうして役立たずの木であるわしのことが解ろうか。
**
 このメッセージのポイントは、(小さな)視点での決め付けは他の(大きな)視点で視たら全くナンセンスなこともある。ということです。
 この無用の用にはひとつの前提となる思想があります。

荘子(内篇)  逍遙遊篇  より

 北の果ての海に魚がいてその名は鯤という。鯤の大きさはいったい何千里あるのか見当もつかない。(ある時)突然形が変わって鳥となった。その名は鵬という。鵬の背中はこれがまったくいったい何千里あるか見当もつかない。ふるいたって飛びあがると、その翼はまるで大空一杯に広がった雲のようである。この鳥は海が荒れ狂うときになると(その大風に乗って)飛びあがり南の果てへと天翔る。南の果てにあるのは天の池である。[中途省略] 蜩や小鳩がそれ見てあざ笑って言う。「われわれはふるいたって飛びあがり、楡や枋(まゆみ)の枝につきかかってそこに止まるのだが、それさえ行き着けないときもあって地面にたたきつけられてしまうのだ。どうしてまた九万里もの上空に上ってそれから南を目指したりするのだろう。(おおげさで無用なことだ)
**
 さて、この鵬なるハイパー鳥は、ひとたび飛び上がれば、天空はるかかなた(宇宙空間)にまで上って、自由飛翔するのです。そしてその飛翔の目的地は天の池です。 地上の狭々しい所にいる蜩や小鳩達にとってはこの鵬の大世界のことは解る術もありません(これはこれで良いのですが)。しかしながら彼らが鵬のことをせせら笑っている(これが問題)のは彼らがいる狭々しい世界が絶対世界だと思い込んでいるからです。
 荘子やその先師にあたる老子は、これらのことを集約化した概念として、道(タオ)というものを説明しています。老子や荘子はこの道(タオ)がどのようなものかは説明しています。・・それはいわば万物普遍の根源即のようなもの。
 しかし老子や荘子はそのそのもの(の実体)が何であるかという説明はなされていません。私たちは聖書によってそのの実体が何であるかという啓示が与えられているのです。それは 「わたしは道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ 14:6)と宣言されたお方。即ち 生ける神のみことば イエス・キリストです。

 さて、話を少し戻しますが、聖書にある私たちの本来の在り方とはどのようなものであったかということから説明します。

 聖書のみことば 創世記 1:31

神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。

 つまり、私たち人間も含めて、始めに神がお造りになったものは、すべてが極めて良かったのです。しかし私たち人間の内に 罪 が入り込みました。ちなみに聖書が語る罪とは、私たち人間が此世的価値観で思い込んでいるものとは違うものです。教会ではこのことを「的外れ状態」とか、「道から外れた状態」という説明をしていますが、ここではのことを取り上げているので、このことは「本来在るべきから外れた状態」ということで説明させていただきます。私たちは、本来在るべきから外れてしまったため、失楽園状態となり、しかも他の被造物も巻き添えにしました。そして人間はそのことを何とかしようとして、狭々しい人工的社会を造り上げました。しかしその内には普遍の真理などあるはずもないので、その内には諸悪と混乱で満ちあふれるばかりでした。そして人間はそのことを何とかしようとして様々な偶像を造りました。・・ここでおことわりするのは、偶像とは、必ずしも目に見え、形のあるものとは限らないのです。たとえていうならば、神無し人倫道徳論なども偶像の一つです。人間は偶像から派生する此世的価値観に束縛された者となり、そのことを基準とした、思い込みや決め付けに心が支配されてしまいました。そしてその結末が「自滅へ向かう道」を歩む者となったのです。「私は死ななければならない」という思い込みもその「自滅へ向かう道」を歩んでいるためです。私たちは「自滅へ向かう道」へと導く此世的価値観から解放されなければなりません。
 では、それはどうすれば良いのでしょうか。それは「本来在るべき」に立ち返ることですが、このことは何も、苦しみ抜きながら登りゆくということではないのです。むしろこのそのものであるお方、即ち 生ける神のみことば イエス・キリストを我が身に受けるのです(注記:我が身の事として    ではありません)。このお方によってこそ私たちは「自滅へ向かう道」や私たち人間を束縛している此世的価値観から解放され、真の自由、真の平和を得ることができるのです。 ・・・・ですから皆さん、真の自由、真の平和を得るためにも、解放主 イエス・キリスト を我が身に受けてください。

解放主 イエス・キリストへの愛をこめて           十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献
荘子   内篇     金沢治 訳注    岩波文庫

2011年1月6日木曜日

隠されたみことばが結ぶ実
 サンダー・シングとドノヴァーから

聖書のみことば  ルカ 10:21

  そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」。

           マタイ5:11

 私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことで あらゆる悪口を浴びせられるときあなた方は幸いである。

 さて、神様の恵みは煮詰まったところよりも、貧しく、渇いた、小さなところにより多くありそうですね。今回も又、サンダー・シングの書からと、あともう一つ、インドにあった実話から紹介させていただきます。

 まずは、サンダー・シングの書から
イエス・キリスト 封印の聖書」第二部 講演録 第三章キリストについて知ることと、キリストを知ること    よりの引用 

 昨年、チベットにいたときに、わたし(サンダー)は驚くべき話を聞きました。ある少女がイエス・キリストについての話を聞いて、主を愛するようになりました。師にあたる仏教の僧はこの少女を憎むようになり、ある日、まだ13歳のこの娘は三日間、水も食物もない部屋に閉じ込められました。彼女にとってはこれは苦しいことでありましたが、自分がイエス・キリストを信じ、そのために独房に入れられたことについては苦しいとは思いませんでした。彼女はその間ずっと祈り続け、幸せな気持ちになり、イエス・キリストについていい知れぬ歓びを覚えるようになりました。三日経って、僧侶が独房に足を踏み入れると、少女がとても幸せそうなのに驚きました。僧の話によると、彼女は「自分はキリスト信者になった」と言ったそうです。「キリストについて何を知っているのか」と僧は聞きました。すると、少女は「あまり知識はありません。でも、一つはっきり言えることがあります。わたしはキリストを知っているのです」と答えました。「愚かな娘だ。お前は文盲ではないか」。と僧は言いました。これに対して娘はこう答えました。「わたしは、親よりもあの方を知っているのです。わたしは親を愛しています。親からも愛されていますが、わたしは、あの方を知っているのです。イエス・キリストはわたしの中にいてくださり、この世界が与えることも、取り去ることもできない生命を与えてくださいます」。僧は「愚かな娘だ」と繰り返すと、また24時間、少女を飲まず食わずのまま独房に監禁しました。それから、また「居心地はどうか」と声をかけました。すると、彼女、疲れているどころか、賛美歌を歌い、歓びで一杯でした。それからまた、2日、3日と監禁され、三日目に戸を開けると、この読み書きできない少女は、相変わらず歌い続け、驚くばかりの平和と歓喜に満たされていました。ラマは告白しました。
「あなたこそ、わたしの師匠だ。わたしは老いて、あなたはまだ13歳の子供だが、わたしはあなたの弟子だ。あなたは、わたしの持っていないものを持っている」と。
**
 次に紹介するのはサンダー・シングより少し前の時代にインドで、実際にあった実話です。

 ある所に最下層のカースト(ハリ・ジャンと呼ばれている)の貧しい村がありました。そこに一人の少女がいました。その少女の名は ミモサ といいます。ある時、この村に英国人の女性の宣教師が立ちよりました。その人の名はエミー・カーマイケルという人です(この人は日本にも来ています)。この人は少しの間、この村に滞在し、子供たちに話をしていました。 ミモサ はこの人の話のある言葉を心の中に刻み込みました。それは「この世界を造られた父なる神様はあなたを愛しています」というものでした。それ以来 ミモサ はいつも「父なる神」のことを心に留めていました。ミモサはやがて、カーストとヒンドウーの掟に縛られた人々の生活の中で、次第に浮いた存在になっていきました。習慣的におこなわていたシヴァの灰を額に付けるのを拒むようになってからは、親族や周囲の人々から、忌み嫌われるようになりました。また、近くに居た小さなクリスチャン共同体の人々からも、完全に無視されていました。ミモサにとっては、父親だけが、唯一の理解者だったのですが、その父親もやがて亡くなりました。ミモサは本当に孤独の中にいました。それでもミモサは「父なる神」を心に留めていました。ミモサはやがて成長し、一人の夫の妻となり、幾人かの子供を授かりました。ミモサは子供たちを、ヒンドウーの掟によってではなく、「神の愛」によって育てようとしましたが、そのことは親族や周囲の人々から大非難されました。ミモサの家庭ではその後、不幸が次々と起こりました。人々はそのことをこう評し、ミモサをののしりました。「あの女は女神様に捧げ物をしないからこのような事になるのだ。あの女は魔付き女だ」。

 ミモサはある時から「父なる神」に向かって、「お父様」と呼びかけるようになりました。それからしばらくしてからミモサは心の中にある呼びかけを聞きました。「ドノヴァーへ行きなさい」。ドノヴァーという所はインドの南端にある小さな村なのですが、そこには「ドノヴァー・フェローシップ」というクリスチャン共同体がありました。その「ドノヴァー・フェローシップ」の設立者は、何と、エミー・カーマイケル師だったのです。その当時、「ドノヴァー・フェローシップ」でおこなわれていたことは、神殿娼婦として売られていく、貧しいカーストの少女たちを救出し、暖かい家庭と適切な教育を提供していました。ミモサはやがて二人の幼子を連れて、家を出ました。長く辛い旅の後、やっとの思いでドノヴァーに付きました。ドノヴァーの村の入り口で、ミモサは一人の白人の女性を見ました。ミモサはその人が23年前に、「父なる神」を教えてくれた人、エミー・カーマイケル師であることがすぐに解りました。エミー師もミモサを見たとき(その姿は苦難の人生のため、実際の年齢以上の姿でした)23年前に立ち寄った村で出会ったあの少女、ミモサであることが解りました。二人は抱擁し合い、涙を流して再開の喜びを分かち合いました。

 ミモサのこの23年間の道のりはまさに荒野の旅でした。しかし忠実であり続けたミモサを神様は確かに約束の地へと導き入れたのです。

★★
 私達は大量の様々な知識や情報に囲まれています。しかし、どんなに知識や情報を手に入れたところで、それが本物の信仰につながるということではないのです。むしろ、ほんのわずかな隠されたみことばが、単純素朴な人の魂に刻み込まれたとき、それは豊かな実を結ぶのではないでしょうか。

 最後に、テゼ共同体の設立者 ブラザー・ロジェの言葉をもって閉めさせていただきます。

 単純素朴な神への憧れ、それが(真の)信仰の始まり

聖主キリストへの愛をこめて                 十字架のヨハネ・テレジオ

引用および参考文献
イエス・キリスト 封印の聖書 サンダー・シング 林陽 訳    徳間書店
ミモサ        エミー・カーマイケル 一柳高明 訳 いのちのことば社
ドノヴァーの碧い空 エミー・カーマイケルの祈りと生涯   いのちのことば社