2011年4月25日月曜日

悲惨と闇と復活の光明

 ご無沙汰しています。私は3月の初め頃、今回はどんなきれい事を投稿しようかと、考えていところ、突然、あの3.11が襲いかかってきました。 そのときから私は心身は無論のこと、霊的にも暗黒の中に落ち込んでいきました。その後、ニュース等で具体的なことを知るにつれ、次第にその闇は深まるばかりでした。特に荒廃した街跡に茫然自失に立ちすくんでいる人の姿を見ると、まさにこの悲惨の中に自分自身が居るのを見たように思えました。 さらに追い打ちをかけたのが、十分過ぎるくらいに心に深傷を負っている人々に、むやみやたらに「ガンバレ!ガンバレ!」などという無神経メッセージを送って、さらにその傷口を広げている周囲の無神経者たちでした。

 その後、しばらくしてちょうど聖週間も近づいてきた時なので、少なくとも自分の心の状態を整理するために、聖金曜日から復活日まで、上野毛のカルメル会に滞在させていただきました。

 復活徹夜祭の典礼のなかで、ある若い有望な神父様が、このような話をされました。 「主イエスは、失われたアダムを見つけ出し、本来在るべき所に連れ返すために、地獄の底まで降りて行ったのです。そして、この本来在るべき所とは、かつての地上の楽園なのではなく天上の楽園なのです」。
 さらにつけ加えられたことは、このアダムとは単に、個人としてのアダムにとどまらず、アダムの子孫としての全ての人間(アダム)のことを指すのだということです。

 「東方の光」 聖週間の賛詞より

 イエスよ、あなたは死者のように 
 自発的に地下まで降りて行き
 罪に墜ちていた全ての人を
 天の住み家へとひきあげられた
 御父に従順なるみことばよ
 あなたは残酷な地獄まで降りて行き
 死すべき人類を復活させた。
**

 私は、この頃、正教会の信仰と霊性に興味を持つようになったのですが、正教の信仰の特徴というのは、十字架以上に復活光明の希望と喜びにあるとのことです。

 日本正教会では、ご復活の日には「光明なる主の復活大祭」というのが行われ、その日には信者の方々は、実に力強い言葉で「ハリストス(キリスト)!復活!!」 「実に!復活!!」という挨拶が教会のあちらこちらで交わされるようです。 これは何と、希望に満ちた挨拶ではありませんか。

 復活とは、単にキリストの復活にとどまらず、私たち人間全ての復活であることは、キリスト者の方にとっては、当然ご承知のことでしょうが、それはまた,世界の再創造でもあるのです。
 そして、それは、今、この時にも起こっている事なのです。

「東方の光」 聖ヨハネ・クリュソストモスのメッセージと伝承されているもの  より

 ・・・・・・みなさん、主の喜びに入ってください。
 はじめからの人たちも、あとから来た人たちも
 みんな報いを受けてください。
 豊かな人たちも、貧しい人たちも、(悲惨の中にいる人達も*1)
 みんな一緒に喜んでください。
  [中途省略]
 みんな 楽しく喜び祝ってください この信仰の宴を。
 みんな、神の豊かな慈しみを受けてください。
 今日の佳き日に、だれも自分の悲惨さを
 泣き悲しむことがありませんように。
 [中途省略]
 もう、だれも死を恐れませんように!
 救い主の死は 私たちを解放してくださいました。
 救い主は死をまとって 死そのものを根絶されました。
 主は地獄へ下って行き 地獄を空にしました。
 死よ、お前の刺はどこにあるのか?
 地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか?
 キリストは復活し、地獄は打ち砕かれた。
 キリストは復活し、悪魔は倒されました。
 キリストは復活し、天使達は喜びにあふれています。
 キリストは復活し、わたしたちに命を与えました。
 キリストは復活し、死者たちはもはや墓にはいません。
 死者の中から復活したキリストは、
 眠っている人々の初穂となられました。
 (栄唱)

*1 筆者追記
***

 さて、今もなを、悲惨と闇と苦しみの中にいる、愛する方々へ、あなたがたが、どれほどの苦しみを担っているかは、私ごとき者が知る術はありません。しかし、これだけは解ってください。
 あなたがたが、信じようが、信じまいが、あなたたちに裏切ることのない希望を与えてくださるお方がおられることを。
 あなたがたが、信じようが、信じまいが、消えることのない光で照らしてくださるお方がおられることを。

 暗夜の旅人      十字架のヨハネ・テレジオ

参考および引用文献

東方の光    ミッシェル・エフドキモフ  稗田操子 訳  ドン・ボスコ

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