2011年1月6日木曜日

隠されたみことばが結ぶ実
 サンダー・シングとドノヴァーから

聖書のみことば  ルカ 10:21

  そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」。

           マタイ5:11

 私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことで あらゆる悪口を浴びせられるときあなた方は幸いである。

 さて、神様の恵みは煮詰まったところよりも、貧しく、渇いた、小さなところにより多くありそうですね。今回も又、サンダー・シングの書からと、あともう一つ、インドにあった実話から紹介させていただきます。

 まずは、サンダー・シングの書から
イエス・キリスト 封印の聖書」第二部 講演録 第三章キリストについて知ることと、キリストを知ること    よりの引用 

 昨年、チベットにいたときに、わたし(サンダー)は驚くべき話を聞きました。ある少女がイエス・キリストについての話を聞いて、主を愛するようになりました。師にあたる仏教の僧はこの少女を憎むようになり、ある日、まだ13歳のこの娘は三日間、水も食物もない部屋に閉じ込められました。彼女にとってはこれは苦しいことでありましたが、自分がイエス・キリストを信じ、そのために独房に入れられたことについては苦しいとは思いませんでした。彼女はその間ずっと祈り続け、幸せな気持ちになり、イエス・キリストについていい知れぬ歓びを覚えるようになりました。三日経って、僧侶が独房に足を踏み入れると、少女がとても幸せそうなのに驚きました。僧の話によると、彼女は「自分はキリスト信者になった」と言ったそうです。「キリストについて何を知っているのか」と僧は聞きました。すると、少女は「あまり知識はありません。でも、一つはっきり言えることがあります。わたしはキリストを知っているのです」と答えました。「愚かな娘だ。お前は文盲ではないか」。と僧は言いました。これに対して娘はこう答えました。「わたしは、親よりもあの方を知っているのです。わたしは親を愛しています。親からも愛されていますが、わたしは、あの方を知っているのです。イエス・キリストはわたしの中にいてくださり、この世界が与えることも、取り去ることもできない生命を与えてくださいます」。僧は「愚かな娘だ」と繰り返すと、また24時間、少女を飲まず食わずのまま独房に監禁しました。それから、また「居心地はどうか」と声をかけました。すると、彼女、疲れているどころか、賛美歌を歌い、歓びで一杯でした。それからまた、2日、3日と監禁され、三日目に戸を開けると、この読み書きできない少女は、相変わらず歌い続け、驚くばかりの平和と歓喜に満たされていました。ラマは告白しました。
「あなたこそ、わたしの師匠だ。わたしは老いて、あなたはまだ13歳の子供だが、わたしはあなたの弟子だ。あなたは、わたしの持っていないものを持っている」と。
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 次に紹介するのはサンダー・シングより少し前の時代にインドで、実際にあった実話です。

 ある所に最下層のカースト(ハリ・ジャンと呼ばれている)の貧しい村がありました。そこに一人の少女がいました。その少女の名は ミモサ といいます。ある時、この村に英国人の女性の宣教師が立ちよりました。その人の名はエミー・カーマイケルという人です(この人は日本にも来ています)。この人は少しの間、この村に滞在し、子供たちに話をしていました。 ミモサ はこの人の話のある言葉を心の中に刻み込みました。それは「この世界を造られた父なる神様はあなたを愛しています」というものでした。それ以来 ミモサ はいつも「父なる神」のことを心に留めていました。ミモサはやがて、カーストとヒンドウーの掟に縛られた人々の生活の中で、次第に浮いた存在になっていきました。習慣的におこなわていたシヴァの灰を額に付けるのを拒むようになってからは、親族や周囲の人々から、忌み嫌われるようになりました。また、近くに居た小さなクリスチャン共同体の人々からも、完全に無視されていました。ミモサにとっては、父親だけが、唯一の理解者だったのですが、その父親もやがて亡くなりました。ミモサは本当に孤独の中にいました。それでもミモサは「父なる神」を心に留めていました。ミモサはやがて成長し、一人の夫の妻となり、幾人かの子供を授かりました。ミモサは子供たちを、ヒンドウーの掟によってではなく、「神の愛」によって育てようとしましたが、そのことは親族や周囲の人々から大非難されました。ミモサの家庭ではその後、不幸が次々と起こりました。人々はそのことをこう評し、ミモサをののしりました。「あの女は女神様に捧げ物をしないからこのような事になるのだ。あの女は魔付き女だ」。

 ミモサはある時から「父なる神」に向かって、「お父様」と呼びかけるようになりました。それからしばらくしてからミモサは心の中にある呼びかけを聞きました。「ドノヴァーへ行きなさい」。ドノヴァーという所はインドの南端にある小さな村なのですが、そこには「ドノヴァー・フェローシップ」というクリスチャン共同体がありました。その「ドノヴァー・フェローシップ」の設立者は、何と、エミー・カーマイケル師だったのです。その当時、「ドノヴァー・フェローシップ」でおこなわれていたことは、神殿娼婦として売られていく、貧しいカーストの少女たちを救出し、暖かい家庭と適切な教育を提供していました。ミモサはやがて二人の幼子を連れて、家を出ました。長く辛い旅の後、やっとの思いでドノヴァーに付きました。ドノヴァーの村の入り口で、ミモサは一人の白人の女性を見ました。ミモサはその人が23年前に、「父なる神」を教えてくれた人、エミー・カーマイケル師であることがすぐに解りました。エミー師もミモサを見たとき(その姿は苦難の人生のため、実際の年齢以上の姿でした)23年前に立ち寄った村で出会ったあの少女、ミモサであることが解りました。二人は抱擁し合い、涙を流して再開の喜びを分かち合いました。

 ミモサのこの23年間の道のりはまさに荒野の旅でした。しかし忠実であり続けたミモサを神様は確かに約束の地へと導き入れたのです。

★★
 私達は大量の様々な知識や情報に囲まれています。しかし、どんなに知識や情報を手に入れたところで、それが本物の信仰につながるということではないのです。むしろ、ほんのわずかな隠されたみことばが、単純素朴な人の魂に刻み込まれたとき、それは豊かな実を結ぶのではないでしょうか。

 最後に、テゼ共同体の設立者 ブラザー・ロジェの言葉をもって閉めさせていただきます。

 単純素朴な神への憧れ、それが(真の)信仰の始まり

聖主キリストへの愛をこめて                 十字架のヨハネ・テレジオ

引用および参考文献
イエス・キリスト 封印の聖書 サンダー・シング 林陽 訳    徳間書店
ミモサ        エミー・カーマイケル 一柳高明 訳 いのちのことば社
ドノヴァーの碧い空 エミー・カーマイケルの祈りと生涯   いのちのことば社

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